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 暫く更新が空いております。 世間のクリスマス時期も終わりひと段落、あとは新年へという流れですが、最近の傾向として何事も気が早いな~と感じております。11月に入ると、まだ雪も降っていないのにクリスマスソングが街やスーパーでは流れ出し新年まで何かと急かすような流れ、焦らせるような12月は、あまり好きではない秘境通のなべです。

前置きはこの辺で、今回は5月の連休に攻略してきた浅野雨竜炭鉱跡
浅野炭鉱跡 (18)

沼田町はかつて、前回紹介した昭和炭鉱と浅野雨竜炭鉱が隆盛を極めていた。 以降~略して浅野炭鉱と表記
前回記事 昭和炭鉱跡
浅野炭鉱の歴史は大正時代に遡る。 大正6年頃には試掘が始まり、昭和3年には沼田町~昭和炭鉱館で留萌鉄道が開通、浅野炭鉱も昭和5年頃に本格稼働が始まった。

戦前から戦後が最盛期で年に17万トンを記録したが、他の炭鉱同様にエネルギー革命で斜陽期を向かえ昭和43年に閉山となり遺構も多く残された。 ここが特徴的なのは平成3年に沼田ダム(ホロピリ湖)が完成し、当時の市街地や炭鉱跡が殆どダム底に沈んだこと、現在はダム湖の展望台に当時の史跡図が残されている。

ただダムの水位によっては遺構が見られるのだ。 そんなチャンスは絶対に逃さないのが秘境通のなべである。

浅野炭鉱跡 (20)

浅野炭鉱跡 (23)

ダム湖沿いに車を走らせると遺構が発見できた。 夏だとブッシュでやや分かりづらく、春でも知らないとスル~しそうなほど、
巨大なジャングルジムのような建物、少し先にはタンクような施設、骨格のように残る鉄筋コンクリート遺構群が沈まずに残されていた。
目移りするほどなので、順番に撮影とリサーチ

浅野炭鉱跡 (16)

浅野炭鉱跡 (19)

ホッパー、選炭ポケット、選炭所、輸送施設跡、抗口が広範囲にならぶ圧巻な遺構群、ダムに沈んだお陰で、ここまで保存されたのはある意味幸運だったが、この奥にあったハズの市街地や小学校跡は完全水没となった様で確認できず、周囲にも民家は見当たらず樹海ロードが続く、歴史からは忘れられた存在のようだ。

浅野炭鉱跡 (7)
これは上部から石炭を落として運搬するホッパー跡、

浅野炭鉱跡 (21)
10m以上はありそうな、そびえ立つ遺構

昭和炭鉱に比べればヒグマの心配は無いようですが、あくまで自己責任でどうぞ
水際までは探検できそうで、さらに奥には遺構が残されており、大好物である抗口も探してみた。 

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