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2022.04.26
轟鉱山跡(赤井川村)~栄光の歴史を辿る
全国的にも珍しいカルデラのなかに街がある赤井川村、道内屈指の豪雪地帯で観光地の小樽市と隣接、スキーで有名なキロロリゾートのある街と聞けばピンと来る人も多いハズだ。
近年は過疎化が進み人口は1100人程だが、この街には栄光に彩られた鉱山の歴史がある。

近年は過疎化が進み人口は1100人程だが、この街には栄光に彩られた鉱山の歴史がある。

まずは得意の寄り道として村内にある景勝地の一つである穴岩を探訪、奇岩地帯の崖下にある洞窟で不動明王として祀られている。国道沿いの寺院敷地内にあるが一般開放されていて探検は自由、内部は洞穴になっており祠が見えるが、殆ど知られていない為、車はことごとくスル~していく、


鉱山で栄えた明治地区へと向かう途中に道の駅がオープンしたので立ち寄ると、その歴史を紹介する看板と鉱物運搬に敷かれた馬車鉄道の像が建てられかつての栄光を偲ばせていた。後ほど触れるが赤井川村の鉱山は金、銀に恵まれ、銀の生産は全道4位の実績があり、明治地区には主に3ヶ所の鉱山が稼働、今回は白井川上流にある轟鉱山を探検してみる。
林道に入り暫く進むと雷音橋、この直下にあるライオンの滝も景勝地の一つで橋から撮影できる。 ライオンの由来は岩がライオンに似ているのと雷のように水音が轟くことから付けられた。
付近には見上げる程の険しい岩塔が聳え立ち、紅葉時期は絶好の撮影ポイントとなっている。


まずは付近を探索して、かつての馬車鉄道跡(後に森林鉄道)を探す間に轟鉱山の歴史を紹介と思ったら? 沢を見上げた辺りに明らかに人工的な堰堤が見えるので上ってみる!!、コレは間違いなく軌道跡?、苔に覆われているのは長年放置された証拠で安定感と強度のための二段造り、意外に呆気なく見つけてしまった。
上流部は藪へと消えているが、下流方面にはハッキリと跡が残っているので辿ってみると錆びついたレール跡を発見、土台として作られたのか横向きに残っていた。 調子に乗ってもう少し軌道跡を探検してみる。
*轟鉱山の歴史
明治30年頃に鉱脈が見つかり本格的な採鉱が始まる。大正時代には製錬所や発電所が作られ昭和初期に全盛期を迎え、小学校や銭湯、郵便局も作られ1000人以上の暮らしがあったが昭和18年頃戦争により休止し住民は殆ど去った。 昭和38年頃に一部再開、休止期間を挟み昭和62年頃まで稼働していたが、枯渇により廃山となった。





鉱山で栄えた明治地区へと向かう途中に道の駅がオープンしたので立ち寄ると、その歴史を紹介する看板と鉱物運搬に敷かれた馬車鉄道の像が建てられかつての栄光を偲ばせていた。後ほど触れるが赤井川村の鉱山は金、銀に恵まれ、銀の生産は全道4位の実績があり、明治地区には主に3ヶ所の鉱山が稼働、今回は白井川上流にある轟鉱山を探検してみる。
林道に入り暫く進むと雷音橋、この直下にあるライオンの滝も景勝地の一つで橋から撮影できる。 ライオンの由来は岩がライオンに似ているのと雷のように水音が轟くことから付けられた。
付近には見上げる程の険しい岩塔が聳え立ち、紅葉時期は絶好の撮影ポイントとなっている。


まずは付近を探索して、かつての馬車鉄道跡(後に森林鉄道)を探す間に轟鉱山の歴史を紹介と思ったら? 沢を見上げた辺りに明らかに人工的な堰堤が見えるので上ってみる!!、コレは間違いなく軌道跡?、苔に覆われているのは長年放置された証拠で安定感と強度のための二段造り、意外に呆気なく見つけてしまった。
上流部は藪へと消えているが、下流方面にはハッキリと跡が残っているので辿ってみると錆びついたレール跡を発見、土台として作られたのか横向きに残っていた。 調子に乗ってもう少し軌道跡を探検してみる。
*轟鉱山の歴史
明治30年頃に鉱脈が見つかり本格的な採鉱が始まる。大正時代には製錬所や発電所が作られ昭和初期に全盛期を迎え、小学校や銭湯、郵便局も作られ1000人以上の暮らしがあったが昭和18年頃戦争により休止し住民は殆ど去った。 昭和38年頃に一部再開、休止期間を挟み昭和62年頃まで稼働していたが、枯渇により廃山となった。



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