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2014.04.15
北炭夕張炭鉱、大新坑~リゾート跡地へ
かつて明治時代から採鉱された夕張市には、全盛期で大小20以上の炭鉱があった。
炭鉱が斜陽をむかえ廃鉱した後は、観光に力を入れ巨大テーマパーク石炭の歴史村を作ったが、
バブル経済の煽りで平成18年に数十億の負債を抱え廃園、今は観光会社が引き継ぎ「石炭博物館」が細々と営業している。
「バリバリ、夕張」のCMを知っている人も多いはず、(このフレーズは花畑牧場の田中義剛が考えたらしい)
前置きが長くなりましたが、今回はそんなバブルの遺跡からスタート

炭鉱が斜陽をむかえ廃鉱した後は、観光に力を入れ巨大テーマパーク石炭の歴史村を作ったが、
バブル経済の煽りで平成18年に数十億の負債を抱え廃園、今は観光会社が引き継ぎ「石炭博物館」が細々と営業している。
「バリバリ、夕張」のCMを知っている人も多いはず、(このフレーズは花畑牧場の田中義剛が考えたらしい)
前置きが長くなりましたが、今回はそんなバブルの遺跡からスタート

画像の橋は、かつてのゴーカードの走路です。
ここから林道を徒歩で進む、閉園になった施設群は寂れ人気は全くない
人生と同じ理想と現実は厳しいようです。
目指すは夕張大新坑と呼ばれる炭鉱施設跡、昭和30年に廃鉱の記録がある。
ブッシュが茂るものの、林道はしっかりしており迷う心配はない
ヒグマに用心しながら20分程歩くと、緑に飲まれた宮殿のような遺構群が見えてきた。
奥にはボタ山もみえ広範囲に残っている


骨組みだけになっている。

炭鉱跡によくあるレンガ造りの建物
窓や天井が抜け落ち、草木の伸び具合が年月の長さを物語る。
少し探索してみよう
そばには、扇風機のような錆びついた巨大な機器が横たわる。
かつては唸りを上げて活躍していたのだろう、今では遺構群の門番といった感じか?




非常に興味深い、
夕張の炭鉱は昭和の時代に全て廃鉱になり、すでに30年ほど経過、残された遺構群は歴史の闇へと葬られた。
ネット世界が無ければ、このまま忘れられたであろう
かつての栄光を偲びながら、さらに奥へと探険
ここから林道を徒歩で進む、閉園になった施設群は寂れ人気は全くない
人生と同じ理想と現実は厳しいようです。
目指すは夕張大新坑と呼ばれる炭鉱施設跡、昭和30年に廃鉱の記録がある。
ブッシュが茂るものの、林道はしっかりしており迷う心配はない
ヒグマに用心しながら20分程歩くと、緑に飲まれた宮殿のような遺構群が見えてきた。
奥にはボタ山もみえ広範囲に残っている


骨組みだけになっている。

炭鉱跡によくあるレンガ造りの建物
窓や天井が抜け落ち、草木の伸び具合が年月の長さを物語る。
少し探索してみよう
そばには、扇風機のような錆びついた巨大な機器が横たわる。
かつては唸りを上げて活躍していたのだろう、今では遺構群の門番といった感じか?




非常に興味深い、
夕張の炭鉱は昭和の時代に全て廃鉱になり、すでに30年ほど経過、残された遺構群は歴史の闇へと葬られた。
ネット世界が無ければ、このまま忘れられたであろう
かつての栄光を偲びながら、さらに奥へと探険
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