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夕張市の若鍋炭鉱跡探しでやってきたのは平和地区、ここは現在野球場やサッカー場がつくられ、平和運動公園として整備されている。
近くには温泉施設もあり、車窓からでは炭鉱跡の面影は薄いように見えるが、裏にはひっそりと当時の遺構が眠っており、我々探険者を手ぐすね引いて待っているとか?
まず目につくのは緑に飲みこまれたボタ山、知らないとドライブスル~しそうなほど自然に還っている。
平和(若鍋)炭鉱 (5)①
若鍋炭鉱の歴史は古く、明治時代にはすでに採炭が始まっていたそうで、休山から再開、統合を経て最後は平和炭鉱鉱業所として昭和50年に閉山した記録が残る。
まずは、ボタ山目がけてアタック開始、鹿の糞と足あとが奥まで続き道案内代わりになりそうだ。
平和(若鍋)炭鉱 (6)①
平和(若鍋)炭鉱 (7)①

橋を渡ると、古い地形図では建物マークがあり選炭所があったと思われる場所だが、今はトラック競技場ほどの広いさら地となっており痕跡も無い、奥に大きな坑口があった。 車道からも分かるほどで、探険意欲をそそる
翼が羽を広げたようでかなり頑丈なシロもの、プレートも外され坑口は完全に埋められている。
ここで感覚の鋭い方が持つ疑問として、炭鉱跡は坑口が完全(頑丈)に塞がれ突入は不可能なのに、当ブログでも多い鉱山跡は意外にほったらかしで坑口もフリ~で突入出来たりする。  どうして差があるのか?

これは某炭鉱跡見学会で聞いた話ですが、炭鉱を閉山する場合は坑口を完全(頑丈)に埋めないと、国から閉山許可が下りなかったそうです。
鉱山は歴史が古く、石炭全盛の時代(20年~30年代)に殆ど閉山したため、当時の規制が緩かったそうで、
坑口もそのままで廃鉱というパターンがあったそうです。(金銭的な事情もあったのか?)
なかには、鉄格子のように頑丈に塞がれた鉱山跡もあり、各鉱山の判断で差ができたようです。
さて道草はこの辺で、さら地をリサーチしてコンクリート製の遺構から奥につづく鹿道を辿ってみる。
平和(若鍋)炭鉱 (4)①

平和(若鍋)炭鉱 (9)①

坑口のガス抜きなのか?パイプ管が転がり期待感を抱かせる。
しばらく進むと、フキの海に埋もれる坑口を発見
平和(若鍋)炭鉱 (23)①
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