高校野球もリオ五輪も終し、夏の楽しみも終わってしまいロス状態ですが、ポツポツといつもの記事も始めます。
以前も少し特集した廃駅シリーズのつづきで、石北本線の金華駅と常紋トンネルを探検した記録
平成28年3月に、ダイヤ改正により廃止となりました。

金華駅 (2)
いっけん、単なる長屋のようですが金華駅舎です。 昔の駅舎はだいたい同じ作りで写真だと見分けがつきません
旧留辺蘂町にあり、奔無加川のほとりにひっそりと残っていました。
歴史は古く、1914年(大正3年)に奔無加駅として開業、戦後に金華駅に改名され、100年以上にわたり街の栄枯盛衰を見守ってきた長寿駅でしたが、時の流れには逆らえなかった。
とりあえずは、信号場として駅舎は残るようです。
駅前通りには民家が1件のほかは廃屋が目立ち、国道沿いだが通行量も少ない

金華駅0 (1)

金華駅 (6)

金華駅 (4)

駅舎を周ってみると、誰も利用しないプラットホームに枠だけの駅名票、改札所跡、子供の頃の見慣れた風景です。
雨除けの雁木のような作りは、当時ではオーソドックスな作り、硬券キップにハサミをいれた時代を語ると年がバレバレですが
廃駅には郷愁を感じますね

金華駅 (5)

当時の引き込み線跡でしょうか?
金華の地名は、文字通り金山から来ているようで、かつて鴻野舞鉱山の支所があり、町内にも小規模鉱山が点在、今でもひっそりと精錬所跡や抗口跡などが山中に眠っている。
ただ忘れていけないのが、道路を挟んで向かいにある常紋トンネル工事の供養碑

金華駅0 (2)

遠軽町に抜ける常紋峠ルートは難所のため、常紋トンネルが掘られた。
1911年から3年で長さ約500mのトンネルが掘られたが、これには囚人や開拓民の強制労働、タコ部屋労働による黒い歴史がある。
老朽化や地震などでトンネルの壁面が剥がれたときに、人骨が多数見つかったのだ。 過酷な労働で死亡者も頻発、それらはそのまま人柱として埋められたそうだ。
町では1980年(昭和50年)に、小学校跡と神社跡の整備とともに殉職者の供養碑を作り、後世に語り継いでいる。
供養碑に手を合わせて、次はその常紋トンネルへと向かう



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