歌登鉱山跡の探索も無事に終え時間が少し余ったので、歌登町から枝幸へと延びていた軌道跡(鉄道跡)を辿ってみた。
健康回復村の片隅に、説明看板と列車が復元されているが、人々の記憶からも薄れている。

歌登町営軌道跡碑 (3)
昭和3年に起工され、枝幸まで開通させた当時の技術と労力は、やはり世界りトップクラスだったのだろう
一部路線は馬がトロッコを引いていたり、拓殖軌道と呼ばれたりと、歴史の勉強になります。
戦後には早くも斜陽を迎え、昭和46年に廃線
昭和30年代には、全道各地にこういった簡易軌道が敷かれていたそうだ。

歌登町営軌道跡碑 (2)

こうなると、断片的に残る軌道跡も辿ってみたい、探検好きは何かと欲張りなのだ。
殆どはヤブやブッシュに埋もれていたが、「トンネル跡なら残っているハズ」と読み、地形から判断して車道とほぼ並行で残っている軌道跡を探してみた。(夏なら無理な作戦です。)

歌登町営軌道跡 (1)

まず始発の小頓別地区に残るトンネル跡、塞がれているが、ブッシュのなかオーラを放っていた。
上部の十字架が印象的でプレート跡も分かる。
ここから、歌登町を経由し志美宇丹方面を辿ってみると、ブッシュの奥に見えるのは、トンネル?しかも塞がれていない

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5月の連休中でも笹薮が行く手を阻み、夏なら接近は難しいかも
2mほどの柵で締められ、突入は出来ないが、中の様子は窺えた。
はるか奥に出口の明かり

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昭和45年とということは、廃線の1年前?
壁面もそれほど荒れていなく、保存状態がいいようだ。
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