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2018.05.09
上砂川炭鉱跡を探る~廃墟に立坑
上砂川炭鉱の歴史は明治20年代に遡る。明治29年に三井鉱山が炭鉱を開抗し抗口が次々と掘られた。
上砂川町自体は、戦後(昭和24年)に分立した歴史は比較的浅い町だ。
炭鉱は戦争期の需要期を挟み隆盛を極め人口も3万を超えたが、斜陽時期を向かえた昭和40年代には衰退、三井石炭鉱業が設立され、露天掘りで細々と稼働したが昭和62年に閉山となった。
現在は、栄光を偲ぶように聳え立つ中央立坑櫓と、煙を上げるズリ山が街のシンボルとなっている。

上砂川町自体は、戦後(昭和24年)に分立した歴史は比較的浅い町だ。
炭鉱は戦争期の需要期を挟み隆盛を極め人口も3万を超えたが、斜陽時期を向かえた昭和40年代には衰退、三井石炭鉱業が設立され、露天掘りで細々と稼働したが昭和62年に閉山となった。
現在は、栄光を偲ぶように聳え立つ中央立坑櫓と、煙を上げるズリ山が街のシンボルとなっている。

この街にひっそりと眠る廃墟と抗口を探検してみた。
今回は、数少ない観光客(失礼)も素通りしてしまう東山地区、まず道路沿いにある小学校跡と石碑、かつて児童で賑わっていた校庭は広い更地となり、下車してここから徒歩で探索してみる。 錆びついた遊具の残骸を見ながら、斜面に延びる太いパイプ菅を辿ると何やら見えてきた。



どうやら立坑跡?、とある記事では登川立坑跡らしい
付近は広い更地だが、地面はコンクリートの基礎跡で施設があった証拠だ。 パイプ菅や錆びついた遺構、鉄くずが散乱し遺構好きには飽きない風景ですな~、見下ろすと街のシンボル中央立坑櫓と市街地がよく見える。
高所からも空き地が目立つ人口は現在約3、000人で10分の一に減り、ここを舞台にしたドラマ「昨日、悲別で」を知る人も減ってしまった。
しかし、侮ってはいけない?上砂川にもローソンが出来たのだ。セイコーマートも合わせれば2件のコンビニ、買い物には不自由しない、飲食店は自身が知る限りラーメン屋が1件とやや寂しい、ちなみに北海道で1番面積が小さい市町村です。何でも1番は良いモノ、悪く言えばゲレッパ(北海道弁で1番最後)
話は逸れたが、斜面上にある廃墟に突入してみた。




今回は、数少ない観光客(失礼)も素通りしてしまう東山地区、まず道路沿いにある小学校跡と石碑、かつて児童で賑わっていた校庭は広い更地となり、下車してここから徒歩で探索してみる。 錆びついた遊具の残骸を見ながら、斜面に延びる太いパイプ菅を辿ると何やら見えてきた。



どうやら立坑跡?、とある記事では登川立坑跡らしい
付近は広い更地だが、地面はコンクリートの基礎跡で施設があった証拠だ。 パイプ菅や錆びついた遺構、鉄くずが散乱し遺構好きには飽きない風景ですな~、見下ろすと街のシンボル中央立坑櫓と市街地がよく見える。
高所からも空き地が目立つ人口は現在約3、000人で10分の一に減り、ここを舞台にしたドラマ「昨日、悲別で」を知る人も減ってしまった。
しかし、侮ってはいけない?上砂川にもローソンが出来たのだ。セイコーマートも合わせれば2件のコンビニ、買い物には不自由しない、飲食店は自身が知る限りラーメン屋が1件とやや寂しい、ちなみに北海道で1番面積が小さい市町村です。何でも1番は良いモノ、悪く言えばゲレッパ(北海道弁で1番最後)
話は逸れたが、斜面上にある廃墟に突入してみた。




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