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2018.05.10
三井上砂川炭鉱跡~廃墟へ突入
前回につづき上砂川炭鉱跡の遺構探検、
斜面上の廃墟は、長年の風化により地盤が崩壊し入口までは急斜面状態、笹薮を掴みながら辿り着いた。
まず見つけたのは右側にある制御装置、小部屋で2畳ほどの広さだ。 理工系には弱いので、装置の詳細は分からないが、施設の心臓部だったことは間違いない

斜面上の廃墟は、長年の風化により地盤が崩壊し入口までは急斜面状態、笹薮を掴みながら辿り着いた。
まず見つけたのは右側にある制御装置、小部屋で2畳ほどの広さだ。 理工系には弱いので、装置の詳細は分からないが、施設の心臓部だったことは間違いない

内部は、ネッシーのような(古い)太いパイプ菅が張り巡らしてあり、錆びついた重設備の機器と変色した鉄くずが散乱、配管はかなり重く一人では持ち上げるのがやっと、感じからして送風施設かと思われる。
閉山後すでに30年、風化が激しいようだが解体されずによく残してくれた。 上砂川炭鉱の貴重な歴史遺産である。
中央立坑櫓の向かいにも、週末限定ながら上砂川炭鉱館が開館し、炭鉱の歴史や装備品の展示、ビデオ上映などが楽しめる。



内部をウロウロしていると、面白いマークや当時の注意書き、装備品も残っていた。
昭和42年設置ながら保存状態はよい注意書き、
三井鉱山(株)三池製作所と書いてある送風機、そう福岡県の大牟田市にあった有名な三池炭鉱と同じようだ。
三井といえば、現在は保険会社か銀行が有名だが、当時は炭鉱の時代、三池と言えば市内の三池工業が、夏の甲子園で初出場初優勝を遂げたことでも有名(昭和40年)だ。
ちなみに、三井製作所は今でもあり札幌にも支店がある。



これはカンテラと呼ばれる照明器具、坑道作業時、ヘッドライトのバッテリーや燃料缶の役割を果たしていた。
自身は、カンテラよりカステラが好きだが・・
役割を終えた各機器類は、ひっそりと余生を送っているようだ。

これで終了かと思いきや、見下ろすとコンクリート製の遺構が眼下に見えたので、さらに探索
閉山後すでに30年、風化が激しいようだが解体されずによく残してくれた。 上砂川炭鉱の貴重な歴史遺産である。
中央立坑櫓の向かいにも、週末限定ながら上砂川炭鉱館が開館し、炭鉱の歴史や装備品の展示、ビデオ上映などが楽しめる。



内部をウロウロしていると、面白いマークや当時の注意書き、装備品も残っていた。
昭和42年設置ながら保存状態はよい注意書き、
三井鉱山(株)三池製作所と書いてある送風機、そう福岡県の大牟田市にあった有名な三池炭鉱と同じようだ。
三井といえば、現在は保険会社か銀行が有名だが、当時は炭鉱の時代、三池と言えば市内の三池工業が、夏の甲子園で初出場初優勝を遂げたことでも有名(昭和40年)だ。
ちなみに、三井製作所は今でもあり札幌にも支店がある。



これはカンテラと呼ばれる照明器具、坑道作業時、ヘッドライトのバッテリーや燃料缶の役割を果たしていた。
自身は、カンテラよりカステラが好きだが・・
役割を終えた各機器類は、ひっそりと余生を送っているようだ。

これで終了かと思いきや、見下ろすとコンクリート製の遺構が眼下に見えたので、さらに探索
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