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2018.07.07
累標沢集落跡(むかわ町)~廃村を行く
当ブログでたま~に登場する廃村探検、今回は旧穂別町(現むかわ町)にあった累標沢集落跡を探してみた。
ネットでも僅かだが探訪記録が残っており、廃村好きには知られている様子、昭和30年頃に林業と製炭での居住記録があり、最大で30世帯100人ほどの暮らしがあり小学校(分校)も作られたが、昭和40年台後半には居住者が0となり廃村になった。

ネットでも僅かだが探訪記録が残っており、廃村好きには知られている様子、昭和30年頃に林業と製炭での居住記録があり、最大で30世帯100人ほどの暮らしがあり小学校(分校)も作られたが、昭和40年台後半には居住者が0となり廃村になった。

和泉地区からルベシベ川沿いの林道を数キロ進むようで、案内看板などは一切なく、小学校跡の石碑が唯一残っているとか、
探検シーズンでもある5月中旬、単独でアタック
林道はフラットで走りやすく、森林管理などでそれなりに通行はあるようだが、建物や人工物は一切なく単調な走行、往復でも山菜取り?の車と1台すれ違っただけだった。


数キロ進むと平坦な更地が散見され、おそらく住宅跡と思われる。 笹薮が伸びつつあり基礎跡なども残っていない
周囲に気配りしながらノロノロ運転でさらに進むと、あった~!!、笹薮に埋もれながら真新しい石碑、やはり残っていた。
実は、雪解け直後でも分かりにくく、1度スル~してしまった。
石碑奥の丘の上に校舎があったようだが笹薮に覆われ跡形もない、生徒数は最大でも20人前後、昭和32年に開校したが同42年頃には廃校になった。


辺りを徒歩でリサーチしてみるが更地以外に遺構は見つからない、 時間もあるのでさらに続く林道を探検すると
今回の探検で唯一見つけた建物跡を発見、プレハブ小屋のようだが、沢とブッシュが濃いので遠巻きの撮影で済ませました。
当時は、1~5級のうち4級僻地に指定されていた記録がある。 小学校跡とともに、累標沢集落の歴史を伝える存在のようだ。

探検シーズンでもある5月中旬、単独でアタック
林道はフラットで走りやすく、森林管理などでそれなりに通行はあるようだが、建物や人工物は一切なく単調な走行、往復でも山菜取り?の車と1台すれ違っただけだった。


数キロ進むと平坦な更地が散見され、おそらく住宅跡と思われる。 笹薮が伸びつつあり基礎跡なども残っていない
周囲に気配りしながらノロノロ運転でさらに進むと、あった~!!、笹薮に埋もれながら真新しい石碑、やはり残っていた。
実は、雪解け直後でも分かりにくく、1度スル~してしまった。
石碑奥の丘の上に校舎があったようだが笹薮に覆われ跡形もない、生徒数は最大でも20人前後、昭和32年に開校したが同42年頃には廃校になった。


辺りを徒歩でリサーチしてみるが更地以外に遺構は見つからない、 時間もあるのでさらに続く林道を探検すると
今回の探検で唯一見つけた建物跡を発見、プレハブ小屋のようだが、沢とブッシュが濃いので遠巻きの撮影で済ませました。
当時は、1~5級のうち4級僻地に指定されていた記録がある。 小学校跡とともに、累標沢集落の歴史を伝える存在のようだ。

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